手柄山アートフェス

 

 


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西日本豪雨災害 復興支援 チャリティーコンサート

毎年恒例の手柄山アートフェスイベントですが、今年は大手前公園にてチャリティコンサートを開催いたします。

平成30年台風第7号および梅雨前線等に伴う大雨災害により、西日本を中心に甚大な被害が出ました。
災害により犠牲となられました方々に、哀悼の意を表しますとともに、 被災された皆様に対し、心よりお見舞い申し上げます。

イベント参加費/飲食ブース売上げ金/会場での寄付金の全額をすべて日本赤十字社を通じて、西日本豪雨災害支援の為に寄付いたします。

皆様、ご協力よろしくお願いします。


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チャリティコンサートアーティストを募集。1名チャリティ参加費として1500円お願いします。全額寄付させて頂きます。
ジャンルは問いません。定員が定数に達した時点で締め切りとさせて頂きます。

締め切り致しました、ありがとうございました。

 


 

 

 

 

歴史への登場は古く、『播磨国風土記』に伊和里の「手苅丘」(てがりおか)として見える。『播磨国風土記』では名の由来を、「播磨近国の神々が集まり草を手で刈っていた」または「鎌を知らず手で稲刈りをしていた」ことに因む、としている。
また江戸時代には手柄山一派と呼ばれる(手柄山氏繁らが有名)刀鍛冶の本拠地があった。

1956年、全国戦災都市連盟により「太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔」が建立された。高さ26mで、白亜で独特の外見を持つ。
慰霊塔の建立を誘致したのが、戦後復興期に姫路市長に就任し、大手前通りなどの積極的都市整備を行った石見元秀(在任1947年~1967年)である。
この誘致に応じ全国戦災都市連盟(当時、石見元秀市長が全国戦災都市連盟の会長を兼務していた)が建立したもので、慰霊塔の手前両側に太平洋戦争で空襲を受けた1都99市13町の碑が並ぶ。

姫路大博覧会(ひめじだいはくらんかい)は、姫路市の手柄山ほか3つの会場において1966年4月3日から6月5日まで開催された博覧会である。姫路城昭和の大修理の完成を記念して挙行され、期間中に約150万人の入場者があった。
博覧会の跡地は手柄山中央公園および遊園地(ひめじ手柄山遊園)として今も市民の憩いの場になっており、かつてのパビリオンの一部も当時のまま存在している。

2003年に若者を中心とした第一回手柄山イベントが開催される。楽しみを共有し手柄山の存在意義をアピールし
イベントの特徴は、自主運営、各自の持ち寄りで自分たちが楽しめるイベントを作り上げた。
ミュージシャン・アート・HipHop・レゲイ・BMX・テクノ・よさこいの8会場で楽しみを競い合った。

 

 

 

手柄山アートフェス事務局

 

山上の駐車場は朝方で満車となりますので他の駐車場をご利用下さい。